-茶の湯-

「楽庭」茶の湯(ちゃのゆ)

 「楽庭」茶の湯は、出雲流庭園シリーズとして、出雲地方の庭園には必ず設置される蹲踞(つくばい)をデザインしています。
 蹲踞は、茶室に入るために設備の一つです。蹲(つくば)って使う手水(てみず)を意味しています。立って使うことができないよう、わざと低く水鉢を据えます。それ故、蹲踞(そんきょ)して手水を使うことになりますが、これは茶の湯にはふさわしい謙譲の所作です。茶の湯は俗世間から脱し、超越した世界です。潜(くぐ)りや蹲踞は世俗を超えるための結界(けっかい)とされています。亭主が自ら運び入れた水を、客がくむ。客にとってもっとも厳粛な所作であり、茶事における主客の心の最初の触れ合いです。露地が奥山寺へ通う山中の情景を理想としたように、蹲踞も岩清水をくむような幽邃(ゆうすい)な趣(おもむき)を求めています。そのため手水鉢には自然石を利用したものが多くあります。
 手水構えは、水鉢を中心に、前方に前石、左右に湯桶(ゆおけ)石、手燭(てしょく)石を配します。水鉢と前石の間の海に水門をつくり小丸石を入れます。そして、蹲踞のかたわらに鉢明かりの灯ろうを配します。

 このような蹲踞は、本来茶室のある庭、つまり茶庭に設置されます。しかし、出雲地方では、茶室の有無に関わらず、必ず庭園に設置されています。これは、大名茶人として名高い松平家7代藩主の松平治郷(1751~1818年、号は不昧)の影響といわれます。
 松江城主であった不昧公は、17歳で藩主になり、破綻寸前の財政を立て直し、殖産に努めて全国屈指の豊かな藩に甦らせた名君であり、希代の教養人でした。禅を深め、諸学に通じ、書、画、和歌、俳句、陶芸など多彩に嗜み、どれもが第一級の素質でありました。とりわけ茶人として最高の名声を馳せました。道具自慢と贅に偏っていた茶道を批判し、千利休の侘茶の原点に返り、相応の茶、心を修める茶、不足を知る茶の道を論じ、自ら「石州流不昧派」を創始しました。不昧とは公の号で、禅の高僧が説く「不落不昧」にちなみます。

 不昧公が出雲大社へ参詣する際にお宿として利用したのが御本陣です。当時は贅沢の極みであった庭園の築庭は、御本陣にだけ許された特別なものでした。後世に一般家庭が庭を持つようになりますが、その際に参考にされたのが、御本陣の庭園でありました。御本陣には不昧公をもてなすために茶が振舞われ、そして、庭園には蹲踞が設置されているのでした。これが出雲流庭園には必ず蹲踞が設置される所以です。

「楽庭」茶の湯は 蹲踞と石灯ろうを配し 侘び寂びの趣を醸し出す