「楽庭」茶の湯(ちゃのゆ)
蹲踞(つくばい/Tsukubai)とは
蹲踞(つくばい)は、日本の茶道(Japanese tea ceremony)に欠かせない伝統的な庭の設備で、茶室(tearoom)に入る前に心を落ち着け、身を清めるために使います。
蹲踞は、茶室へ向かう途中にある茶庭(roji / tea garden)に設置されています。お客様(guest)は茶室に入る前に、必ずこの蹲踞で手や口を洗い、身を清めます。これは、ただの清掃ではなく、精神的な準備のための大切な儀式です。
蹲踞という名前の意味
「蹲踞(つくばい)」という言葉は、「しゃがむ(つくばう)」姿勢で使う手水(てみず / water basin)を意味します。わざと水鉢(basin)を低く設置し、立ったままでは使えないようにしてあります。これによって、使用する人は自然と腰をかがめる、つまり謙虚(けんきょ / humble)な姿勢になります。これは、茶の湯の精神「へりくだり」「心の静けさ」を表現しています。
蹲踞の象徴的な意味
茶の湯は、日常生活の喧騒(けんそう / noise)から離れ、心を整えるための特別な世界です。蹲踞は、現実世界と茶の湯の世界を分ける「結界(けっかい / spiritual boundary)」のような役割を持っています。蹲踞の水は、亭主(host)が心を込めて準備したもので、客はその水で手を洗うことで、亭主のもてなしの心を感じ取ります。これは茶会における最初の「心のふれあい」とされています。
蹲踞のデザイン
蹲踞は以下のような役石(役割のある石)で構成されています:
- 手水鉢(ちょうずばち / water basin):中央に配置された、手を洗うための石の水鉢。蹲踞の中で最も重要な石です。よって、手水鉢の石色や石質は慎重に選出され、他の役石は手水鉢に調和するものを選出します。手水鉢は、穴に水を溜めて使いますが、溢れた水は手前に流れ落ちるよう設置します。楽庭では、それをイメージして手水鉢を選出しています。
- 前石(まえいし / front stepping stone):手水鉢の前にあり、客がそこに立って手を洗います。実用的な蹲踞は、前石に立ってしゃがんだ際に、柄杓で手水鉢の水をすくいやすい距離に配置します。大方手水鉢の穴の中心から前石までが70㎝程度となります。楽庭では、実用的な蹲踞の寸法をイメージしてデザインしています
- 湯桶石(ゆおけいし/Stone for placing a tub)と手燭石(てしょくいし/Stone for placing a lamp):左右に置かれ、昔は桶やろうそくを置くために使われました。冬期の茶会では、手水鉢の水が非常に冷えてしまい、客が手を洗うには不都合です。そこで、亭主はお湯を入れた桶を準備して湯桶石の上に置きます。これが日本人が大切にするおもてなしの精神です。楽庭では、島根県出雲地方に流れる一級河川「斐伊川」の石を使用しています。斐伊川は、神話で有名なヤマタノオロチを意味する暴れ川です。スサノオノミコトという神様が八つの頭をもつ大蛇を退治した神話は、暴れ川として何度も街を飲み込んだ斐伊川に対する、長年の治水事業を意味しています。ヤマタノオロチを退治した際に尻尾から出てきた剣は、のちに三種の神器(天皇を象徴する宝物)の一つとして扱われた、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。斐伊川の上流には、実際に日本刀の原料となる玉鋼を生産していた、たたら製鉄所があります。楽庭は、神話の歴史ある出雲地方の石を使用して作成しています。
- 小丸石(こいし / small stones):水鉢の前には小さな丸い石を敷いて、水の流れや清らかさを表現します。手水鉢から溢れた水や、柄杓ですくって手を洗った水を流すところです。小石がある場所を海と呼ばれます。直接水が溜まった地面が見えないようにしていると同時に、水が跳ねて足元を汚さないようにしています。実際は、海の下に排水管を設置して排水します。水琴窟(すいぎんくつ)は、手水鉢から流れた水が反響して、まるで琴のような美しい音色を奏でる蹲踞をいいます。これは、海の下に水瓶を上下反対にして埋込み、土中に空洞を作ることにより、音を反響させています。五感で楽しむ庭師の秘伝の技法として継承されています。
- 灯ろう(とうろう / stone lantern):手水鉢のそばに置かれる照明用の石灯籠で、静かで幽玄(ゆうげん / mysterious and quiet)な雰囲気を演出します。千利休が茶庭に灯ろうを使用し、弟子の古田織部(ふるたおりべ)が蹲踞にある灯ろうを考案しました。背が低く、手水鉢の存在感を邪魔せずに、全体と調和した素晴らしいデザインです。この灯ろうを織部灯ろうと呼びます。
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なぜ出雲の庭園には必ず「蹲踞(つくばい)」があるのか
本来、「蹲踞(つくばい)」は、茶室(Japanese tea room)がある庭「茶庭(ちゃてい / tea garden)」に設置されるものです。茶室に入る前に手や口を清めるための場所であり、茶道の大切な所作に使われます。
しかし、出雲地方(現在の島根県東部)では、茶室があるかどうかに関わらず、すべての伝統的な庭園にこの「蹲踞」が設置されています。これは非常に珍しい特徴で、その背景には、ある歴史的人物の影響があるとされています。
出雲と茶道を結びつけた人物:不昧公(ふまいこう)
この特別な文化の背景には、江戸時代の松江藩(まつえはん)の藩主(lord)、松平治郷(まつだいら・はるさと)、通称 不昧公(ふまいこう)(1751–1818年)の存在があります。不昧公は日本でも有数の教養人であり、茶人(tea master)として特に有名でした。
彼は17歳という若さで藩主となり、破綻寸前だった藩の財政を立て直し、経済を活性化させた名君(wise lord)でもあります。彼は禅、詩歌、書画、陶芸など、さまざまな芸術に通じており、特に茶道においては、「豪華さや道具の自慢」に偏っていた当時の風潮を批判しました。そして、千利休(せんの りきゅう)の「侘び茶(わびちゃ)」の精神に立ち返り、「心を修める茶」「足るを知る茶」を大切にしました。これが後に「石州流不昧派(せきしゅうりゅう・ふまいは)」という茶の流派を生みます。
不昧公と出雲の庭園文化
不昧公は、出雲大社(いずもたいしゃ)へ参拝する際に「御本陣(ごほんじん)」という特別な宿泊施設に滞在していました。この御本陣には、当時としては贅沢とされた美しい庭園があり、不昧公をもてなすために茶が振る舞われていました。もちろん、茶をたてるためには「蹲踞」が庭に設けられていたのです。
その後、時代が進み、一般の家庭でも庭を持つ文化が広がると、人々はこの御本陣の庭園を手本とするようになりました。そうして、出雲地方では「庭園には蹲踞を置くものだ」という文化が自然と根付き、今でも茶室の有無にかかわらず、多くの庭に蹲踞が見られるようになったのです。
出雲地方の庭園に「蹲踞」が必ずあるのは、ただの習慣ではなく、文化と歴史の積み重ねによるものです。茶道の精神と、不昧公という偉大な人物の美意識が、庭の一つひとつに今も息づいています。
楽庭の生産地出雲地方 ― 神々が集まる神聖な土地
出雲(Izumo)は、日本の中でも特別な存在感を放つ地域です。この地は、日本神話の舞台として知られ、数多くの神様(kami)が登場する物語の発祥地とされています。古代の神話を記した『古事記(Kojiki)』や『日本書紀(Nihon Shoki)』には、出雲が神々の国として幾度も登場します。
その中心にあるのが出雲大社(Izumo Taisha Shrine)で、日本最古級の神社のひとつであり、縁結びの神として知られる大国主命(Ōkuninushi no Mikoto)を祀っています。人と人、心と心、そして自然と人との「つながり」を司る神様です。
神様が「集まる」唯一の場所 ― 神在月(かみありづき)
日本では、10月を「神無月(かんなづき)」=「神のいない月」と呼びます。これは、全国の神様がすべて出雲に集まってしまうため、ほかの地域には神様がいないとされるからです。
ところが、出雲だけは違います。10月のことを「神在月(かみありづき)」、つまり「神様がいらっしゃる月」と呼ぶのです。
この時期、出雲大社では全国から八百万(やおよろず)の神々が集まり、人々の縁や運命について話し合う「神議(かみはかり)」が開かれると伝えられているからです。神々は目に見えませんが、出雲の空気や風、海の音に、その気配を感じることができると信じられています。
出雲の神聖さと日本文化への影響
このような信仰が今でも息づく出雲は、日本の精神文化の源流ともいえる土地です。神々と自然、そして人の営みが調和しているという考え方が、庭園、建築、生活様式にまで表れています。